関西の鉄道駅散歩 ~蹴上~

ふらり散歩

蹴上(けあげ)駅は、京都府京都市東山区東小物座町にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT09。蹴上駅プラットホームから地上出口に上がるエスカレーターがけっこう長く感じられました。

蹴上といえば私の中では、森見登美彦『四畳半神話大系』に登場した、蹴上インクラインです。蹴上インクラインをカタパルトにして人力飛行機を飛ばすという、荒唐無稽なお話しに感心してしまった記憶が残っています。しかし、私は蹴上インクラインに訪れたことがなく、いつか現地に行ってみたいとずっと思っていたのでした。

今回は蹴上インクラインを中心に散歩した際の写真ブログです。

蹴上の地名由来

蹴上(けあげ)という地名には、躍動的な印象を持っていましたが、なぜ蹴上と呼ばれるのか私は全く知りませんでした。何気なく手にした『京都魔界ガイド』に載っていた話が印象的だったので、抜粋引用すると以下のような逸話があるそうです。

蹴上
旧東海道が山科盆地から日ノ岡峠(ひのおかとうげ)を越えて、京の都へ入る場所にあり、古くから交通の要衝とされてきた。

奥州へ向かう源義経は日向大神宮で安全祈願して出立したところ、平家の武士ら9人らと出会ったとされ、彼らの乗る馬が通りざまに水たまりの水を蹴り上げ、義経に浴びせてしまった。晴れの門出を汚された義経は激怒して、9人を切り捨てた。

しかし、義経はこの軽率を悔い、9人の菩提を弔う9体の石仏を作った。この逸話が、蹴上の地名由来として伝えられている。

石仏の行方ははっきり分からないが、蹴上インクラインの頂上部に現在もある小さな祠に祀られた蹴上義経地蔵(義経大日如来)がその1体ではないかといわれている。

『京都魔界ガイド』東 雅夫(2016, 宝島社)

誰もがご存じでしょうが、京都は古くからの歴史がある街で、それだけ争いの多かった場所です。多少盛った話である可能性を考慮しても、血なまぐさい逸話ですね。

琵琶湖疎水と蹴上インクライン

琵琶湖疎水は琵琶湖と京都を結ぶ多目的水路。第一疎水は大津市三保ヶ崎(みほがさき)で取り入れ、長等(ながら)山の下を抜け山科(やましな)の毘沙門堂(びしゃもんどう)南を流れ、日ノ岡山(ひのおかやま)の下をくぐって蹴上に出る。この8.7キロの内、3.41キロはトンネル内である。

水運などを目的とする運が建設案は既に江戸時代より存在していた。明治になってからも早くから計画が進められたが、工事費用の目途がたたず断念されていた。京都府知事北垣国道は京都百年の大計として疎水建設に着目した。

総額60万円と予測された財源は、主として産業基立金に仰いだが、工費は膨張し、府庁・国庫下渡金、さらには市債寄付金で賄おうとしたが不足を生じた。そこで、市民に地価割、戸数割、営業割の3種の賦課が、工事開始後の明治19年より実施された。これに対し、特に明治20年に入ってから反対運動が活発化し、各所で反対集会が開かれたが、府は疎水による利点を強調、論説した。

工学博士田邊朔郎(たなべさくろう)の設計・指導による疎水工事は、明治18年6月2日に滋賀県藤尾村(現大津市)で始まり、明治23年に完成。4月9日に竣工式が挙行された。

蹴上の船溜まりから岡崎動物園(現京都市立動物園)前までが急勾配で35メートルの標高差があり船の通行が困難であるため、斜面に軌道を敷いて運輸船をのせた船台を走らせた(水車動力のちにはモーターでワイヤーを巻き上げて)が、この蹴上インクラインは明治22年4月に完成している。

明治21年には米国コロラド州のアスペン水力発電所を調査、水力発電所の建設を計画、明治24年9月に蹴上発電所(日本で最初の水力発電所・関西電力)が完成した。この発電所建設で、当初、交通・運輸に主目的をおいていた琵琶湖疎水も、電力・上水道利用に主眼が変更され、当初考えられていた灌漑利用などは大幅に縮小した。

明治30年頃から鉄道輸送が盛んになるにつれ、疎水利用の貨物輸送が減少、変わって水利事業所が設けられ、電灯や工場動力源としての配電に力が注がれた。

『京都市の地名』(平凡社)、『京都府の歴史散歩・中』(山川出版社)より抜粋引用

蹴上散歩写真

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おわりに

京都は歩けば歴史にあたる場所です。故に面白い景色があり、帰宅後に地理や歴史などを調べることが楽しくなりました。

また機会を見つけて京都の散歩をしたいと思いました。

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